茨城県美浦村にある国指定史跡「陸平貝塚」に行ってきた。
陸平と書いて「おかだいら」。
土偶を読むだったかな?どこかで陸平貝塚のことを読んだとき、陸平貝塚は「日本考古学の原点」と言われている貝塚だと知り、これは行かねば!と思って、家から1時間半ほど車を走らせて行ってきた(家からけっこう近い貝塚)
陸平貝塚の出土品は、貝塚のとなりにある「美浦村文化財センター(別名・陸平研究所)」で展示している。
が、展示は、お世辞にも広いとは言えず、展示されている出土品も、そんなに多くはない。
たぶん、たぶんだけど、ほとんどの出土品は、大学のほうにいってしまわれたのではないか・・・とも思った。
双口土器も、大学のほうで保管されていて、文化財センターで見学できるものは、複製品である(本物は、東京大学総合博物館にある)
日本考古学の原点「陸平貝塚」
陸平貝塚は、縄文時代早期から後期まで、数千年にわたり縄文人のひとたちの生活の場だった場所である。
全国で2番目の面積をもつ「霞ヶ浦」の南側にあり、縄文時代、縄文海進の影響で、霞ヶ浦は海で、陸平貝塚は、霞ヶ浦にうかぶ島だった。
この地図を見ると、縄文時代、ここらへんって、かなり入り組んだ地形だったんだなあと思う。
陸平貝塚は、けっこう大きな貝塚で、AからGまで貝塚がある。
明治12年、東京大学の佐々木忠次郎さんと、飯島魁さんのふたりにより、発掘調査が行われ、それは、日本人だけの手による初めての学術調査で、日本の考古学研究における記念すべき出来事だった。
ふたりが調査した貝塚は、A貝塚。
そういうことで、日本考古学の原点と呼ばれているようだ。
陸平貝塚から出土した「双口土器」
全国に、双口土器と呼ばれているものが、全国で数か所の遺跡で出土している。
たいていの土器は、注ぎ口がひとつしかついていないが、双口土器は、注ぎ口がふたつついているという(私も見たことがないのであんまりだけど)、珍しい土器である。
縄文時代後期の土器で、加曾利B式(土器の〇〇式って覚えていないけど)
サイトでこの土器の写真を見たとき、ぜひとも見たいと思って、陸平貝塚へ行ったと言ってもいいくらいである。
双口土器の用途は不明で、儀式などに使われたのではないかといわれている。
土器の模様も、形もだけど、一種の芸術品みたいな感じ。
陸平貝塚の縄文時代中期の土器
やはり土器として形が面白いのは、縄文時代中期の土器でしょう。
陸平貝塚の中期の土器も、良い形のもの多しだった。
美浦村文化財センター
美浦村文化財センター内ある展示室は、私がいままで行った博物館などの中では、いちばん小さな展示室だった。
陸平貝塚のほかに、霞ヶ浦の周囲には、〇〇遺跡や貝塚など、複数ある。
それだけ、霞ヶ浦は、縄文時代の人にとって、住みやすい場所だったのかもしれないですね。
土器のほかにも、もちろん石器や、貝塚から出土した貝類、貝輪や貝の装飾品など、展示されている。
展示室の規模は小さいけど、もっと多くの人に、陸平貝塚を見学しに来てもらえればなと思います(日本考古学の原点ですから)
このような大きな駐車場もあるんだけど、自分の車含め3台しか、お昼までに停まっていなかったという・・・