金曜日、有給を取っていたから、どこか博物館に行ってきたいなあ~と、Google検索をしていたら、神奈川県相模原市にある遺跡『史跡田名向原遺跡』が出てきた。
「旧石器時代の住居とな!?」と思って、千葉から車を走らせること3時間ほど(やっぱり渋滞にあいまして・・・)。
www.city.sagamihara.kanagawa.jp
やっところさ着いた~と感動しつつ、規模はそんな大きくないけど、立派な建物の中に入ると、なんと無料で見学できるとな。
無料でこんな素晴らしい展示物を見学できるなんて!と、私は喜びながら館内に入った。



- 後期旧石器時代の住居状遺構『田名向原遺跡』
- 後期旧石器時代(旧石器時代から縄文時代への過渡期)
- 国の史跡『田名向原遺跡』
- 田名塩田遺跡群から出土した『真脇式土器』
- 田名塩田遺跡群から出土した縄文時代から古墳時代などの出土品
- 史跡田名向原遺跡公園へ行き、住居状遺構などを見学
後期旧石器時代の住居状遺構『田名向原遺跡』
神奈川県相模原市中央区にある『史跡田名向原遺跡(たなむかいはらいせき)』。
相模川の左岸にあり、田名しおだ土地区画整理事業に伴う発掘調査により平成9年(1997年)3月に発見されました。
旧石器時代は、定住することなく狩猟や採取をしながら移動生活をすると考えられてきたけど、田名向原遺跡から発見された約2万年前の住居遺構は、人類の定住化を物語る重要な遺構です。
旧石器時代の暮らし
田名向原遺跡に人々が住んでいた約2万年前は、年平均気温が現在よりも7~8度も低く、雨が少なく乾燥していました。
この頃、火山活動が活発で、広い範囲に火山灰が降り注いでいた時代、このような環境の中で、旧石器時代の人たちは、食料を得るために動物を追い求め、植物の採取を行っていました。
生活に欠かせない道具が『石器』で、狩りや加工の道具としてさまざまな石器をつくり出します。
関東地方における旧石器時代の遺跡は、富士山などの火山灰が主に堆積した関東ローム層に覆われ、この層は、強い酸性のため、骨などの有機物は解けてほとんど残っていません。
そのため、旧石器時代の人たちがどのような服を着ていたかなどの生活の仕方はよくわかっていないが、気温の低い自然環境であることから、寒さに耐えられる副葬だったと考えられます。





「皮をなめす」とは、動物の皮は、防寒・防水に優れていますが、皮をはいだだけでは、硬くなり腐ってしまうので、内側についている脂肪や肉を削り取ることが必要です。
この皮をなめすために使われたと考えられる道具が『掻器(そうき)』です。





後期旧石器時代(旧石器時代から縄文時代への過渡期)
後期旧石器時代の食べ物
後期旧石器時代は、私たちが知っている縄文時代へと続く過渡期?みたいな時代。
大まかなイメージはあるけど、博物館などでいろいろ見学していると、実はこのような時代だったと、新しい発見があったりするから面白い。

旧石器時代の食べ物は、採集による木や草の果実などのほか、狩猟でナウマンゾウやヘラジカなどの大型哺乳類を捕らえていたことが、各地の発掘調査から知られております。
遺跡を発掘すると『礫群(れきぐん)』と呼ばれる焼けた石のまとまりが見つかることがあります。
これらの石は、食材の加熱に使われたと考えられております。
大きめの葉っぱにくるんだお肉などを上に置き、蒸し焼きのようにしていたと推測されています。
田名向原遺跡では、住居遺構の北側と西側で「礫群」が確認されています。


お肉などが並べていたところを想像すると、ごちそうですね~。
黒曜石と人の移動

黒曜石大好きの私は、ここでテンションが上がった。
黒曜石は、マグマがつくり出す天然のガラスで、加工しやすく、割れた切り口は、とても鋭いことから、旧石器時代の人たちには、とても貴重な石器の材料でした。
田名向原遺跡から出土した黒曜石は、中部関東地方すべての産地が確認され、このような出土例をもつ遺跡は他に知られていないことから、田名向原遺跡は、黒曜石を求めた人々の移動や交易を知る上でも貴重な遺跡といえます。
また、田名塩田遺跡群のA地区No.2地点2号ブロックでは、黒曜石の原石が9個まとまって出土しており、分析の結果すべて長野県の星ヶ塔産でした。



国の史跡『田名向原遺跡』

田名しおだ区画整理事業における発掘調査は、A、B、C、の3つの地区で行われ、この全体を『田名塩田遺跡群』と称しています。
そのうち、平成8年に行われたA地区の本格調査において、No.4地点より後期旧石器時代の住居住居状遺構が発見され、その後、国の史跡指定を受ける際に小字名「向原」にちなみ『田名向原遺跡』と名付けられました。

旧石器時代の調査と遺構
土器がまだない旧石器時代の発掘調査の手がかりは、なんといっても「石」です。
石は、河川や山などから運んでこなければ、台地上には通常ありません。
そのため、発掘調査で「石」が出土すると、そこいは当時の人々の営みの跡がのこされていることになり、場所や深さ、出土状況などを顕著に調査して記録していきます。
さきほどの黒曜石もそうで、本来ありえない場所に、黒曜石が出土し調査すると、これは長野県から運ばれてきたものだ!と、当時の人々のネットワークがわかるわけです。





住居状遺構の発見

田名向原遺跡が発見されたNo.4地点の調査は平成8年10月より開始。
関東ローム層下約50センチの深さから遺物が出土しはじめ、その後、表土約2.5センチの深さで、直径10センチ程度の範囲から大量の石器、環状にめぐる直径10センチ程度の円礫(石)が確認されました。
環状にめぐる礫の中には、石器製作の痕跡をうかがい知ることができる凝灰岩の剝片剥離作業がおこなわれた跡と、それに伴う大型の剝片類がまとまって確認されたところもありました。
さらに、発掘調査に土をきれいにして平面を確認したところ、焼土ブロックを含む中央付近の2か所の赤い変色部や青黒いシミ状の円形の変色部12カ所が確認されました。
このような通常の石器製作跡とは異なる状況を、調査者は、赤い変色部を炉跡、青黒いシミ状の変質部を柱穴と想定し、これらの遺構の一部の詳細調査をおこないました。

田名向原遺跡は、遺構・遺物が良好に確認されており、環状にめぐる円礫・柱穴・炉跡と、尖頭器を主体とした約3,000点もの石器が見つかっております。
また、遺構全域から、炭化物も多数確認されています。
発掘調査は、外周円礫出土レベルで終了しており、さらに下層には多くの遺物が埋蔵されていることが予想されております。









改めて古代のネットワークに凄さに感動しました。
縄文時代でも、その前の旧石器時代でも、人々の交流は想像以上のものがあったのだろうと思わされます。

田名塩田遺跡群から出土した『真脇式土器』
後期旧石器時代の住居状遺構の見学が終わったあと、とある小部屋に入ったら・・・
「おおおおーーー!!!なんだこの土器は!!」
と、心の中で叫び驚いた。

真脇遺跡は、石川県能登町真脇にある北陸最大級の縄文時代の遺跡(国指定史跡)。
富山湾を臨み、三方を丘陵に囲まれた小さな入り江の奥の沖積平野に位置しています。





石川県能登町の土器が、神奈川県相模原市から出土するだなんて、これまた古代の人々のネットワークに驚かされました。
田名塩田遺跡群から出土した縄文時代から古墳時代などの出土品
真脇式土器も素晴らしいけど、他、曽利式土器やクルミ形土器なども展示されている。






史跡田名向原遺跡公園へ行き、住居状遺構などを見学
学習館の見学を終え、隣にある遺跡公園へ移動して、住居状遺構などを見学してきた。
風は強いし、日差しは強いしで、この時期の外での見学はツライ笑。

最初は谷原12号墳を見学します。




古墳のとなりには、復元された竪穴住居があります(写真撮り忘れちゃった)。

そして、その先には、さきほど見学していた住居状遺構があります。

住居状遺構に復元と書かれている理由は、保存のために埋戻しがおこなわれ、その上に復元(レプリカ)がある、というわけです。
なので、本物?出土した住居状遺構は、かなり下にあるということになりますね。




ひとつまた、古代史のロマンにひたれたと思います。
なんか、自分が思う想像以上に、旧石器時代、縄文時代って、発達していた時代だったんだなあって、改めて思いました。
ますます北海道のピリカ遺跡に行ってみたいぜ~!という熱が上がりました!(^^)