ねことメガネとアネモネと

古代史好きアウトドア好き旅行好きな女が書きたいことを書くブログです

東葉高速鉄道『東海神駅』から徒歩13分ほどの場所にある『飛ノ台史跡公園博物館』に行く(その2・飛ノ台貝塚)

飛ノ台史跡公園博物館に行ったときの話の続きです。

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1階の企画展を見学し終わったと、2階へ行き「飛ノ台貝塚」の展示を見学した。

 

 

飛ノ台貝塚

7000年前、飛ノ台の台地に、住んでいた人たちがいました。

人々は、台地の上に家を建てて、海や森の食料を得て暮らしていました(飛ノ台史跡公園博物館のパンフから)

 

飛ノ台貝塚は、7000前の遺跡で、縄文時代前期にあたる。

飛ノ台史跡公園博物館の2階は、飛ノ台貝塚から出土した土器などを展示していて、個人的には、ちょっとした発見もありました。

私が個人的に気になったところしか写真を撮ってこなかったです。

飛ノ台貝塚はこのような感じで展示されています(真ん中のアワビみたいな形は住居)

飛ノ台貝塚のパンフの表紙にもなっている土器

ここでもまた、自分が知らない土器の様式名が。

安行式土器、野島式土器、姥山式土器など、飛ノ台史跡公園博物館では、たくさんの縄文土器の様式を知ることができて良かった、勉強になります。

なかなか良い形をしています

野外で煮炊きをする『炉穴』

縄文時代、食事などをどこで煮炊きするか、というイメージを、私の中だけだけど、ずっと「竪穴住居の中で煮炊きする」ということばかりだったが、飛ノ台貝塚の縄文時代前期、食事などの煮炊きは、外でおこなっていたようだった。

展示室の入り口にあるイラスト

飛ノ台史跡公園博物館のパンフには、炉穴についてあまり詳しく書いていないのが、ちょっと残念だけど、できるかぎり自分ようの記録として写真を撮ってきたつもりです。

ちなみに、炉穴の展示について、ちょこちょこと場所が違うところであったりするから、それをここで下手なりにまとめてみた。

実際に発掘された炉穴

上の写真は土が埋められちゃっている状態だけど、詳しい写真やイラストが展示されていた。

炉穴と命名

炉穴はどのように使ったのだろう

このイラストを見たとき、ふと千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」で展示されている模型を思い出した。

「確かに!野外で煮炊きする人たちおったわ」

遺跡の名前はどこだったかなあ、なんて思いながら展示を見ていたけど、竪穴住居で煮炊きをする前は、このように野外で食事などを煮炊きしていたようです。

さらに、土器の形も、炉穴で煮炊きができるようにと、土器の底が平ではなく細くなっている。

普通に考えて、地面に置くとなると、底が細くなっていたら置くことはできない。

なんていうんですかね、用途に応じて土器を作っているということが、私的には感心ポイントなんですよね。

入り口にある炉穴の模型

スタートと書いてあるスイッチをポチっとなすると、赤い光がついて、火が燃えているように見える仕様。

ポチっとな!おお~!燃えてる~!

炉穴とは、野外で煮炊きをする場所であった。

説明文にもあるように、燻製を作るのにも使用できるから、食べ物を長期保存できる。

すごいですよね、縄文時代って(もう締めのか?)

 

飛ノ台貝塚から出土した土器たち

飛ノ台貝塚の土器や石器

だいたい土器の底が細くなっているものが多い

7000年前は縄文時代前期あたり

 

いろいろな様式がありますね

縄文時代前期の土器は、基本的にシンプルだなというイメージ

縄文時代前期の土器は基本的にシンプル、と思っちゃう理由はやはり、縄文時代中期の八ヶ岳周辺の遺跡から出土する土器のインパクトが強すぎるため、だと思う(自分的に)

なんでこの形なのかは、ちゃんと理由があるからすごい

好きな土器ありますかね?

底が細くなっている土器

底が少し平になっている

色が違う場所は、遺跡から破片が見つからず、こんな感じかな~みたいに補足してあるところです(そんな軽い感じで土器に付け加えていないと思うけど)

文様もそれぞれ個性?があって面白いです

勉強になりました、炉穴。

縄文時代前期、住居の中で煮炊きする前は、屋外で穴を掘り、そこで煮炊きしていたんですね。

国立歴史民俗博物館に展示されている模型を、もう1度よく見てこようと思った。

 

飛ノ台貝塚の出土品たち

2階を見学していたとき、自分的に気になったものを撮ってきました。

貝塚の断面

貝塚から土器発見!

貝塚はただのゴミ捨て場じゃないというのは、縄文時代の人には常識です。

飛ノ台貝塚から出土した貝殻

イルカの骨

いまでこそ、東海神駅や新船橋駅あたりは、陸地しかなく海のイメージなんかないと思いますが、私は勝手に駅の名前から、ここは海に近かったと思っていたのだけど、船橋市のサイトを見ると、海神という地名の由来が掲載されていた。

www.city.funabashi.lg.jp

『浜に持ちかえり、祀った場所が海神である』と書いてあるから、ここ海神は浜だったということがわかる(たぶん)。

コウイカ類の利用

軽石、軽石の利用が展示されていました

こんな感じに軽石

黒曜石は石鏃などを見るとジッとみてしまいます

道具の使い方

道具の使い方

石器から鉄に変わっただけであって、動きというか、さほど現代でも変わっていないところが面白い(機械化されたところもあるけど)。

工具(展示されているものの一部)

貝杓(かいじゃく)おたまみたいな感じのもの?

「貝杓」をGoogle検索すると、貝杓子というころばが出て、出てきた写真には、おたまのようなものが多く出ている。

ということは、縄文時代にも「おたま」のようなものがあったんということになるのかしら??

ナゾの円盤状土製品

イノシシ形土製品

トロトロ石器

また知らない名前のものが出てきた。

その名も『トロトロ石器』。

Google検索で、トロトロ石器とは?と検索してみた。

縄文時代早期の東北南部から九州にまで広く分布する、石鏃に似た形の儀礼用の打製石器です。石材としてチャートが選ばれることが多く、全体に磨(ま)耗(もう)した痕跡があることからトロトロ石器と呼ばれています。異(い)形(けい)部(ぶ)分(ぶん)磨(ま)製(せい)石(せっ)器(き)などと呼ばれることもあります。

>>文化遺産オンラインから

bunka.nii.ac.jp

弥生時代にあった「銅矛」を思い出します。

 

謎めいた男女の死

ここにきて、藤ノ木古墳を思わせるような、古代ロマン、いろいろ妄想やら想像やら搔き立てられてしまう展示がありました。

謎めいた男女の死

飛ノ台史跡公園博物館のパンフを読んでみると、「男女2体の埋葬された人骨が発見されました。ふたりが同時に埋葬されたのは、どうしてでしょう?秘められた男女の物語があるのでしょうか?」と書かれている。

いや~、縄文のビーナスでも、私ひとり妄想しておりましたが、ここでも、妄想しちゃう要素の展示があるとは思わなんだ、みたいな気分。

展示されているパネルには、もうちょっと詳しく説明が書かれている。

「貝塚の下から2体の屈葬人骨が抱き合うような形で見つかりました。縄文時代早期の墓としては大変珍しく注目されました。専門家の鑑定によると、壮年期の男性と思春期の女性で、同じ家族なら兄と妹、そうでなければ夫婦または恋人同士ではないかということです」

すごくないですかね??

この文章だけで、妄想要素をばっちりと備えているのと思うんです。

や~、なんだよこれ~(良い意味で)と思いつつ、薄笑い(良い意味で)しながら3階へと行きました。