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古墳ってどのようにして造られるのか?保渡田古墳群「八幡塚古墳」の模型を見学

先日、群馬県高崎市にある「かみつけの里博物館」に行ってきた。

かみつけの里博物館のとなりには、5世紀から6世紀ごろに造られた古墳「保渡田古墳群」がある。

群馬県は、いまではグンマーなんて言われて、面白がられるというか、未開の地みたいに、いろいろ言われているけど、1500年ほど前の群馬県は、ヤマト王権の次に栄えていた王国まで言っていいのかわからんけど、古墳時代、とっても栄えていた場所だったのである。

4世紀くらいから、バシバシ前方後円墳が築造され、保戸田古墳群が造られた5世紀ごろは、繫栄のピークだった。

しかし、繫栄のピークだったころ、榛名山が1回噴火、そして2回目の噴火をし、繫栄のピークは幕を閉じる。

榛名山の噴火によって、保渡田古墳群は、火山灰で覆われ、1500年後の現代に再び、その姿を現すのであった。

 

巨大な前方後円墳はどのように造られたのか?

かみつけの里博物館には、八幡塚古墳がどのように造られたのかを模型で展示している。

古墳とは、ご存じの通り、偉い人のお墓である。

偉い人が死んでから、古墳づくりを始めていたら、いつ偉い人を葬ればいいのか、古墳が出来て葬ろうとしたときには、偉い人はすでに骨になっていた、むしろ骨残ってんのか?みたいになってしまうため、偉い人がお亡くなりになる前から、古墳は造られるのである。

かみつけの里博物館に展示されている保渡田古墳群

 

1.古墳の場所探し「選地(せんち)」

古墳の場所を決めるにあたって、

1.古墳の存在をアピールする立地

2.治める地域を一望できる場所

3.先に造られた古墳との位置関係

などが、配慮される。

八幡塚古墳の場所は、ムラや畑より高い、榛名山の山裾が選ばれ、先に造られていた二子山古墳を遮らないように、やや後方に決められている。

(保渡田古墳群には、二子山古墳と八幡塚古墳、そして薬師塚古墳が現在ある)

 

2.設計・縄張り

古墳のような巨大構造物を造るためには、設計図が不可欠。

紙がない当時は、板や布に図が描かれていただろうと想像される。

古墳の規模は、豪族の力や、ヤマトとの関係に応じ、原図に一定の比率を掛けて決められた。

原図から古墳のプランを地面に投影する。

倍数と尺度を用いて、杭を配置、検縄を引き回して、墳丘や堀の形態を設定する。

 

3.土工事(堀を掘り、土を盛る)

古墳の工事は、まわりの堀の堀削から始まる。

掘り具は、スコップの原型「鋤」と、柄に角度がついた「鍬」が主体である。

砕いた土は、モッコや籠などの運搬具で運び、墳丘の盛土につかわれる。

墳丘に運び上げた土は、棒などで突き固める。

こうした作業を繰り返すことによって、土はだんだんと積み重ねられ、墳丘の外形が姿を現す。

土はいっきに盛られると崩れやすいので、時間をかけて、なじませながら行ったであろう。

しかも、これらの作業、人力でやるからすごい。

 

4.石工事(形を整え、石を葺く)

墳丘の盛り土がほぼ完成すると、全体の形を整える作業がおこなわれ、そして、斜面部分の葺石工事がおこなわれる。

葺石は、古墳を石の山のように、厳かに見せるためのものである。

八幡塚古墳の葺石の材料は、榛名山東南麓の各河川から集められた。

ムラビトたちが複数のグループに分かれ、工事区域を分担して、葺石工事をおこなった。

 

5.埋葬(石棺を運び入れ、王を葬る)

王の棺である大きな「舟形石棺」は、墳丘完成前に、作業用斜面から運び上げられた。

この段階で、古墳づくりは、いったん休止したと思われる。

王が死ぬと、館の中で儀式(殯(もがり))が幾日もおこなわれ、やがて古墳へと運ばれる。

別れの儀式のあと、棺の中や周囲に、王が使った品々が納められ、蓋石がのせられる。

続いて、石棺を河原石で覆い、さらに盛り土をして、墳頂部が完成する。

残念なことに、八幡塚古墳は盗掘にあっているため、どのような品々が納められていたのかは、不明である。

いまでいう「国宝級のお宝」が、納められていたかもしれない。

 

6.埴輪を並べる

埴輪は、王の埋葬のあとに、並べられたと考えられているが、埴輪作りの準備は、古墳工事と並行しておこなわれていただろう。

王の埋葬が済み、墳丘が完成すると、遺体の上にあたる墳頂部に「家」や「盾」、「天蓋(てんがい・きぬがさのこと)」などをかたどった埴輪が置かれた。

墳丘の平坦部や、墓域の縁には、多量の円筒埴輪が、魔物を阻む垣根として並べられた。

そして、人から見やすい堤の一角に、儀式の様子をかたどった「人物埴輪」や「動物埴輪」の群像が配置された。

※かみつけの里博物館・常設展示解説書から抜粋

 

かみつけの里博物館では、このような感じで、古墳造りの様子を模型展示している。

八幡塚古墳が造られる様子の模型

掘を掘って固めている様子がわかる

掘を掘るひとたち

舟形石棺を運ぶひとたち

区画されて葺石が施されている

馬ちゃんも一緒に運ぶ

舟形石棺は、石をくり貫いて造られる

埴輪づくり

葺石に使われる石たち

葺石工事中

厳かな古墳が出来つつあります

中島を造るひとたち

休憩したり遊んでいるひとたち

 

八幡塚古墳は、墳丘の長さ96メートル、堀を含めた全長は190メートルにもおよぶ。

このような大きな前方後円墳を造らせちゃうくらい、保渡田古墳群をふくめ、群馬にはものすごい王がいたんだということがわかる。

石棺と一緒に葬られた副葬品が、どうしても気になるところ。

絶対、刀剣5口くらいは出土してもおかしくないと思うんですがね(個人的意見)