『国宝「火焔型土器」の世界・笹山遺跡』という本を読んでいたら、火焔型土器ブームがきた。
この遺跡を学ぶシリーズ、かなりお世話になっております。
火焔型土器とは?
火焔型土器とは、主に新潟県十日町市にある遺跡『笹山遺跡』から出土した土器や、以下写真にあるような特徴をもつ土器のことをいう。
笹山遺跡から出土した火焔型土器は、新潟県唯一の国宝であり、縄文土器で初めて国宝指定された土器でもある。
ちなみに、火焔土器と火焔型土器という名前があり、火焔土器は、主に新潟県長岡市にある遺跡『馬高遺跡』から出土した土器の愛称(ニックネーム)である。
國學院大學博物館に行ったときに撮った土器の写真を改めて見ていたら、なかなか良い写真が多いなということに気がつきました笑。
ひとりでたっくさんの土器の写真を撮っていたけど、無駄じゃなかったなと改めて感じた。
ちなみに、みなさまがご存じの火焔型土器は、いきなりこんな形で出現するものではなく、いろいろな地域で作られている縄文土器の影響を受けてできあがる。
火焔型土器だけではなく、勝坂式土器も、焼町土器も、ありとあらゆる土器に言える。
私は新潟県に行ったことはあるけど、新潟県にある火焔型土器をこの目でまだ見たことがない。
なので、ヒソヒソと11月あたりに十日町市にのりこんで、国宝の火焔型土器を拝んでこようと計画中である。
『火焔型土器』と『火焔土器』、そして『王冠型土器』という土器もある。
ちょっとまた國學院大學博物館に行こうかな~。
火焔型土器とほぼほぼ同時代に作られていた土器たち
火焔型土器が出現し隆盛をむかえる縄文時代中期には、各地でさまざまなすごい土器(語彙力なし!)が現れる。
北陸地方では、上山田・天神山式土器、長野県南部から山梨県、関東地方西部にかけての地域には、勝坂式・曽利式土器が出現する。
上山田・天神山式土器は、まだこの目で見たことがないのだけど、勝坂式・曽利式は、好きすぎて何回か博物館に行ってはこの目で見ている。
私が行ったさまざまな博物館の写真をいろいろかき集めてみた。
焼町式土器(浅間縄文ミュージアム)
2023年の9月、ひとり車を走らせて『浅間縄文ミュージアム』に行った。
いや~高速道路の渋滞に巻き込まれまくりながら行ったし、博物館の窓からは、立派な浅間山が見えていたのを思い出す。
浅間縄文ミュージアムで焼町土器を見たときの感動は、いまだに忘れられない。
浅間縄文ミュージアムで展示されている焼町土器は、ほぼほぼ国指定重要文化財である。
井戸尻考古館で見学した土器たち
2022年9月に、上高地へ行った帰りによった「井戸尻考古館」。
徳沢ロッヂでギックリ腰気味になってしまい、腰が痛い痛いと言いながら、土器を見学していたのを思い出す。
井戸尻考古館の土器たちも、驚くほどかなり面白い文様をしていることに感動していた私だったなあ。
遺跡は、海抜800~1000mのこうした尾根や台地上にあり、縄文時代、とりわけ中期の遺跡が数多い。とくに遺跡が密集しているのは、立場川から東へ二つ目の母沢から、東の鹿ノ沢までのおよそ2.5㎞の範囲で、井戸尻・曽利・藤内・九兵衛尾根・居平・唐渡宮・向原など、名だたる遺跡が集中し、「井戸尻遺跡群」を形成している。>>井戸尻考古館のサイトから
井戸尻考古館に展示されている有名な土器『神像筒型土器』という土器があるのだけど、その形というか文様がすごい(語彙力・・)
写真撮影不可となっているため写真がないけど、1度見たら頭から離れられないほどインパクト大。
茅野市尖石縄文考古館(国宝「縄文のビーナス」だけじゃない?)
2022年4月に訪れた『茅野市尖石縄文考古館』
茅野市尖石縄文考古館には、国宝土偶「縄文のビーナス」と「仮面の女神」がある博物館。
土偶も素晴らしいけど、展示されている土器も素晴らしい。
山梨県立考古博物館といえば『出産文土器』
山梨県立考古博物館に最初に行った日は、2020年11月。
2023年にもう一度、山梨県立考古博物館に行くらい好きな博物館。
山梨県立考古博物館では、曽利式土器、勝坂式土器、諸磯式土器などさまざまな土器が展示されている。
私の中での「曽利式土器」はここ『釈迦堂遺跡博物館』
釈迦堂遺跡博物館も2回訪れた博物館。
いちばん新しいのは、2023年11月。
中央自動車道のサービスエリアから行ける博物館『釈迦堂遺跡博物館』。
釈迦堂パーキングエリアから、そのまま歩いて行ける博物館である。
ここに展示されている『水煙文土器』は、私のなかでピカイチです。
忘れちゃいけない「加曽利E式土器」
忘れちゃいけない土器「加曽利E式土器」。
加曽利E式のEとは、土器が出土した場所の名前です。
ここでは、國學院大學博物館に、良い土器が展示されていたのでご紹介。
加曽利E式土器にも、Eのあとにローマ数字があるけど、Google検索してみると、
加曽利E式土器の型式細分にはローマ数字が用いられており、これは『史跡加曽利貝塚総括報告書』に準じた表記です。
というお答えが出た。
と、簡単に火焔型土器と、同時代に出現していた土器たちをご紹介しました。
なんていうんですかね、本当にね、縄文時代中期の土器は面白いんですよ。
何度見ても、縄文芸術に圧倒されちゃうんだなあ~。