ねことメガネとアネモネと

古代史好きアウトドア好きな女が書きたいことを書くブログです

國學院大学博物館で土器を見学、加曽利E式土器に心を奪われる

渋谷区にある『國學院大學博物館』に行ってきた。

國學院大學博物館にある火焔土器が見たいと思って行ったんだけど、國學院大學博物館にある考古学資料が、めちゃくちゃ多くて、火焔土器他、いろいろな考古学資料を見るだけでも、1時間近く見学していたという、それだけ、充実した博物館だった。

 

初めて見る火焔土器は、とても素晴らしかった。

azu-simple-diary.xyz

火焔土器は、その姿から言われる名前で、土器の型式は「馬高式土器」と呼ばれる。

 

 

縄文時代中期の土器「加曽利E式土器」

國學院大學博物館の奥に、縄文時代の土器が、早期から後期、晩期まで展示されている。

そこの土器の充実さといったら・・・

土器好きの私の心とスマホのシャッターは止まりませんでした。

飽きるほど写真を撮っていたら、縄文時代土器展示の中に、素晴らしい形状の土器が。

 

「こ・・・これは、加曽利式土器じゃないか!」

 

自分がこれは!と思って見ていた土器は、正式名称「加曽利E式土器」。

いまから約3年前。

家から車で30分くらいの場所にある「加曽利貝塚(国の特別史跡)」に行った。

んだけど、同じような土器をたくさん見たはずだが、、そのころはまだ、ここまで古代史の熱が上がってなかった(知識もそんななかった)から、正直、イマイチそのときの記憶があんまない。

ある意味、新鮮な気持ちでいま國學院大學博物館で見ることができた加曽利E式土器。

もう1回、千葉県にある加曽利貝塚に行かないといけないな。

 

というのは、置いといて。

國學院大学博物館に展示されている「加曽利E式土器」は、素晴らしいプロポーションをした土器だった。

加曽利E式土器

加曽利E式土器という名前は、加曽利貝塚のE地点から出土した土器を基準に設定された土器、ということで、加曽利E式土器という。

縄文時代中期後半の土器として不動の地位を占めている。

加曽利E式土器

加曽利E式土器

加曽利E式土器の特徴は、口縁部にある「隆帯文」。

加曽利E式土器

火焔土器(馬高式土器)と加曽利E式土器

加曽利E式土器は、時が経つにつれて、特徴的な隆帯文が土器に使われなくなり、沈線のみになっていく。

 

曽利式土器、別名「水煙文土器」

何回も何回も言うけど、縄文土器って、日本列島それぞれの地域の特色が出ていて面白い。

加曽利E式土器と曽利式土器が融合した土器などもあるみたい。

土器を作る縄文人の人は、あの土器のデザイン良かったなあ~、あれとこれとくっつけてみよう!みたいな感じに思って、土器を作っていたかもしれない。

てか、絶対にそう思って作っていた、はず。

ちなみに、曽利式土器とは、別名「水煙文土器」のことである。

中央自動車道のサービスエリア「釈迦堂パーキングエリア」から行くことができる「釈迦堂遺跡博物館」にも展示されている土器である。

曽利式土器(水煙文土器)

去年かな?上高地にハイキングしに行くついでに、立ち寄った「釈迦堂パーキングエリア」(もう去年かよ!><)

時の流れは早いなと思いつつ、11月下旬、3年ぶりにということで、山梨県立考古博物館に行くことにした。

中央自動車を使って、釈迦堂遺跡博物館にたちより、甲府で一泊。

そんで、帰りに山梨県立考古博物館にたちよって帰る、みたいプラン。

 

番外編・縄文時代前期「諸磯式土器」

山梨県立考古博物館には、プロポーションが絶妙な「諸磯式土器」がある。

諸磯式土器は、縄文時代前期の土器。

凄いんですよ、形はシンプルで、上にシュッとしていて、スタイル抜群なのです。

3年前の写真を見てみてら、諸磯式土器は、写真に写っているちゃあ写っているんだけど、右端の端。

若干見切れちゃっているし、他の土器にかぶっているし、この当時は、まったく私の眼中には入っていない土器だった。

右端の赤丸のところ

が、去年行った「茅野市尖石縄文考古館」に行ったときの写真を見ると、ガッツリ写真1枚に写っている諸磯式土器の写真があった。

茅野市尖石縄文考古館にある「諸磯式土器」

私が持っている本「縄文土器ガイドブック」に掲載されている諸磯式土器は、山梨県立考古博物館が所蔵している土器(口絵32)。

思うに、縄文土器って、装飾過多なものもあれば、シンプルなのに、シュッとプロモーション抜群のこんな土器もある。

だから見ていて飽きないんだよなあ、と思う。

 

 

museum.kokugakuin.ac.jp

 

www.city.chiba.jp

 

www.city.chino.lg.jp