山梨県立考古博物館にプチ旅行行ったあと、一緒に働いている派遣の方が忌引になり、代わりに出勤ということになって6連勤、シフトでの連休みたいなのがなくて疲れはてていたら、もう12月12日、日にちがあいてしまった・・・
ということで。
11月14日から国立歴史民俗博物館の第一展示室で開催されている企画展「北の大地が育んだ古代ーオホーツク文化と擦文文化ー」を見てきた。
今年の秋ごろ友達の車で、モヨロ貝塚館に連れていってもらい、オホーツク文化にふれてきた。
面白い展示がたくさんあって、とても勉強になった場所。
友達にモヨロ貝塚館に連れて行ってもらったあと、オホーツク文化についてもっと知りたいと思い、アマゾンで、モヨロ貝塚についての本と、司馬遼太郎の街道をゆくをポチってしまった。
本も面白く、オホーツク文化ブームみたいなのが来ていたとき、ふと見た国立歴史民俗博物館のサイトに、企画展の情報が目に入った。
これは!企画展を見に行かなければならない!
とサイトを見ていながら思い、11月24日の金曜日、車を走らせて佐倉市にある歴博に行った。
ここのブログでちょこちょこ登場する「国立歴史民俗博物館」、通称「歴博」。
国立歴史民俗博物館は大きい博物館で、人によっては、博物館をブラブラするだけで充実した1日を過ごせるほど、飽きない、公園も大きい、そんな博物館である。
古代史展示をしている「第一展示室」で企画展は開催されていた。
大きい企画展なのかな?と思い込んで行ったら、第一展示室の奥一角で、ひっそりと展示されていたオホーツク文化だった。
オホーツク文化とは、日本史でいう古代(飛鳥や奈良、平安時代のころ)、北海道の北の方、オホーツク海といまは言われる場所あたりに、5世紀ころ、サハリンから南下してきた外来文化で、海獣狩猟や動物祭祀などに特徴がある文化である。
擦文文化とは、古代国家の影響のもと、7世紀後半あたりに成立したもので、漁労、狩猟、採取を中心に、アイヌ文化の母体ともなった。
同じ古代文化なのだけど、本州においては馴染みが薄い文化たちでもある。
オホーツク文化とは何か
北海道では、縄文時代からアイヌ文化にいたる歴史は、ひとつの流れとしてとらえられる一方、それとは異なる別系統の文化が、北方から南下し、北海道で、両方の文化が存在していた時期があった。
オホーツク文化は、5世紀から12世紀(北海道では9世紀ごろまで)のあいだ、アムー河口部、サハリン全域、北海道のオホーツク海岸、千島列島に展開した。
オホーツク文化の特徴
オホーツク文化には、同時期の続縄文文化・擦文文化とは大きくことなる特徴がある。
1つめは、北海道からみて外来の文化となる点である。
オホーツク文化の人たちの骨からわかった顔かたちなどの形質を現代の東北アジア地域の人々と比較すると、アムール下流域の人々に近いことが判明している。
2つめは、海獣狩猟や漁労を生活の基盤とする高度な海洋適応が認められる点である。
オホーツク文化の遺跡は、北海道ではすべて海岸部に位置し、魚類や海獣類などの海産物を利用していた痕跡が多く残る。
漁労や海獣狩猟に使われた銛頭(もりがしら)や釣針などの狩猟具。漁労具も質・量ともに多く出土しており、高い技術をもっていた。
3つめは、動物を対象とした儀礼の痕跡が目立つ点である。
儀礼の存在を示すのは、竪穴住居内に設けられた動物の頭骨を積み上げた祭壇(骨塚)や、動物を表した骨角器などの製品である。
なかでもクマは、儀礼の対象として特別視されていた。
土器にも、海獣をモチーフにしたとみられる貼付文が2段めぐっている。
モヨロ貝塚の銛頭・釣針
同じオホーツク文化のモヨロ貝塚館に展示されている銛頭と釣針をご紹介。
本州などで馴染みの薄い、オホーツク文化と擦文文化。
特にオホーツク文化は、いままで私が見てきたものの中では、個性的で不思議で驚きがたくさんある文化だなと思っている。
日本でも、こういう文化があったということが、少しでも知られるといいなと思う。
国立歴史民俗博物館で、2024年2月12日まで開催されています。