いまだに「土偶を読む」を読んでいるのだけど、ハート型土偶に続いて、私は、山形土偶の第3章に、衝撃を受けた(ど素人の素人がなにを言う)
この本、本当に面白いのでおすすめです。
椎塚土偶(山形土偶)とは?
第3章で紹介されている「椎塚土偶」。
どういう土偶かというと、ひとことで言えば「宇宙人」のような姿をしている土偶である。
どっかからか画像を拾ってこようと思ったけど、それいくないと思う。
Google検索で「椎塚土偶」と検索すると、大阪歴史博物館のPDFが表示されたり、Google画像検索で、いちばん最初に出る画像が、この世でいちばん有名な「山形土偶」だと思う。
この世でいちばん有名な土偶「椎塚土偶」は、縄文時代後期中葉(約3700年前)の土偶で、茨城県稲敷市霞ケ浦南西岸に位置する「椎塚貝塚」から発見された。
この土偶の写真をひと目見ただけで、縄文時代の人々の独創性というか、なにもしがらみがない自由な発想でモノを作る(土器もそうだけど)という自由さみたいなのが感じられる土偶である。
検索する人って、いなさそうだから、本から抜粋して椎塚土偶を貼っておこうと思う。
椎塚土偶(山形土偶)は、ハマグリだった
前回は、ハート土偶はオニグルミ、その次の章に書いてある「合掌土偶」と「中空土偶」はクリだった。
じゃあ、この山形土偶は、何をモチーフにして、土偶を作られているのか?
それは「ハマグリ」だった(タイトルで答え出てるけど)
椎塚土偶は、さきほど書いた通り、霞ケ浦の南西岸に位置する縄文時代の遺跡である。
史跡指定などされていないため、本に書いてある通り、藪の中で草ボウボウ、地面には貝が落ちているようだけど、無許可では入れないような感じ。
霞ケ浦は海だった!?
いまの霞ケ浦は、琵琶湖に続いて、日本第2位の湖面をもつ湖として知られている。
が、縄文時代のとき、霞ケ浦は海だった。
「古鬼怒湾」という、湾の一部だった。
これは、縄文海進という、温暖化が進んで、海水面が2メートルから3メートル前後上昇したため、関東平野は、当時ほとんど海であった。
その海のそばにあった「椎塚貝塚」。
私が2年前に千葉県にある「加曾利貝塚」に行ったとき、同じようにハマグリが多く、貝塚に残っていた。
椎塚貝塚から8キロほど離れている「陸平(おかだいら)貝塚」
陸平貝塚は「日本考古学の原点」と呼ばれている大きな史跡で、陸平貝塚と椎塚貝塚は、同じ霞ケ浦の南西岸に臨む台地上の遺跡という点で、環境的にも共通点が多く、両遺跡から出土する貝類の種類は、ほぼ同じであるようだ。
加曾利貝塚と同じくらいの規模があるらしい「陸平貝塚」。
天気の良い日に、1度、行ってみたいと思っている。
ハマグリにしか見えなくなってきた土偶
土偶の写真とハマグリ、ハマグリと連呼していたら、椎塚土偶は、どう見ても「ハマグリ」にしか見えんだろうと思う、思わざるを得ない雰囲気になってきた。
合掌土偶と、中空土偶は、クリといわれても、うむ~とガッテンするまで、少し時間が必要だった(と思う)。
しかし、山形土偶の場合、説明不要、ハマグリといわれたら、そうなんだ!ハマグリが土偶のモチーフとして作られているんだー!って、誰もが思ってしまう単純さ?みたいなものがある。
身近なものを参考にして、土偶を作るのってあると思うし、同じような形の土偶が、近く(いまでいう県をまたいで)発見される理由は、土偶の模倣、というのもあるようだ。
ハマグリ以外にも、縄文時代はさまざまな貝が採れ、ハマグリ以外の貝でもモチーフとして、土偶が作られた・・・のではないか(類似)。
本当のところ、どうなんでしょうね。
だから、土偶は謎めいて、面白いんだと思う。
加曾利貝塚、もう1度行って、見学し直してきたい。