文字だらけだけど、簡単にイタリア旅行1日目を書いた。
日本からイタリアまでは、羽田空港から出ている直行便の航空会社「ITA AIRWAYS」で行き、行は14時間ほど、帰りは10時間ほど、飛行時間がかかった。
しかも、ここ最近の世界情勢の影響で、ロシア上空は飛べず、ウクライナ上空も飛べずで、若干、飛行機はカクカクしながら飛んでいた。
1日目は、夜9時過ぎにホテルに到着。
シャワーをあびて、そのまま寝た。
そして2日目。
朝5時くらいに起き、テルミニ駅からナポリへと行くため、日本でいう新幹線に乗って、ナポリを目指した。
この新幹線のチケットは、友達が事前に予約してくれた(英語サイトですが時間と座席を予約できます)。
チケットを確認するために、車掌さんが車内を巡回していて、座席に車掌さんがきたとき、チケットを見せるけど、けっこうアバウト、簡単に終わる。
ボルゲーゼ美術館はバスで行ったんだけど、途中のバス停で抜き打ちみたいな感じで、何かの係の人たちがいきなり乗り込んできて、無賃乗車している人がいないかチェックしていた。
私たちは「なになに??」みたいな感じで一瞬驚いたけど、持っていたローマパスを見せたら、私たちをジロジロ見ながらパスを確認していた。
イタリアの日の出は日本より若干遅い。
途中、新幹線が時速300キロ出して走っていたのを見て、私たちは驚いていた。
天井にあるモニターで、電車がいま何キロ出ているか確認できる。
約1時間ほどでナポリ中央駅に到着。
ローマからナポリまで300キロ??ほどのようで、東京から静岡あたりまで??の距離になりましょうか。
ナポリ中央駅からポンペイまで、また電車に乗って行く。
英語案内がないから、来た電車にいる車掌さんに確認したりして、ポンペイまで行く電車が来るホームを確認していた。
ポンペイに行くホームに来たとき、優しい男性ふたりに英語でまた教えてもらった。
イタリアといえばイタリア語だけど、だいたいの人が英語を話せるみたいで、イタリア語ができなくとも、苦労することはないと思う。
が、イタリア語風英語なので、ときどき友達が「聞き取れん」と固まることが何度もあった。
ポンペイへ行く電車を待っているとき、違うホームに電車がはいってきた。
地下鉄の電車もそうだったけど、電車に描かれている落書きが凄すぎる!
テルミニ駅周辺の建物の壁にも、ビッシリ落書きがすごい。
1日目、テルミニ駅から出て景色を見たとき、落書きすっご!!と声が出て驚いた。
ちなみに、ナポリ中央駅からポンペイの最寄り駅までの運賃は3.25ユーロ??
すいません、正確な数字は覚えていませんが、3ユーロちょいでした。
しかも、日本の電車のようなイメージで乗ると、ガッツリ裏切られるので、海外あるある電車だなあ~と思って乗っていただけるとよい。
ポンペイの遺跡がある最寄り駅に着いて、友達とトイレに行った。
駅などにある外にあるトイレには、だいたい便座がない。
ポンペイの遺跡がある最寄り駅のトイレも便座がなかった。
さらに、海外あるあるで、水洗トイレのくせに?流れが悪すぎる。
本当に日本は素晴らしい国だよと、イタリアにいる間、つくづく実感していた。
イタリアに良いところはもちろんあるけど、公共インフラというんでしょうか?そういうのは、日本のほうがはるかに良い。
潔癖症の人には、厳しいかもしれない(水洗トイレの流れが悪いから、便座シートを使ったとき、どうなるかは不明です)
ポンペイの遺跡に入るには、チケットを購入しなければならない。
私たちは、『エクスプレスパス』みたいな名前のチケットを購入して遺跡に入ったが、秘儀荘は見学できなかった。
秘儀荘を見学するには、『エクスプレスパスプラス』みたいな名前のパスを購入しないと見学することができないらしい。
秘儀荘に行く手前の道で、バリケードというか改札みたいな機械が設置されていた。
あと、イタリア語だったかな、バスで行く案内とともに、パスの説明が書かれた看板があった。
「秘儀荘は別料金か!?」と、調査不足で、私たちは、ポンペイのメインでもある秘儀荘は見学することができなかった。
ということで。
ポンペイで有名な遺跡場所をご紹介していこうと思う。
世界遺産の古代都市ポンペイは、約2000年前、ヴェスヴィオ山の噴火により、火砕流によって一夜で埋まってしまったローマの都市である。
一瞬にして埋まった古代都市は、その後18世紀に発掘調査をされるまで、火山灰でパックされたまま、道路、建物、壁画など、保存の状態が良いまま発掘された。
チケットを購入して、けっこうな勾配のある坂を登るとトンネルがあった。
バシリカ
そのトンネルとぬけると、右手に柱などが残っている建物みたいなのが見える。
バシリカは、司法、商業の中心で、特にポンペイの活発な商業活動を考慮するなら、フォーロ広場とともに古代都市の中でも最も活気にあふれた賑やかな場所であったに違いない(ポンペイの売店で購入した本参照)
フォーロ広場
バシリカを見学したあと、大きな平地みたいな、広場みたいなところにでる。
そこから見えるヴェスヴィオ山がキレイに見えた。
マセルム
私が購入してきたポンペイの本には、ここマセルムの説明がなかった。
ウィキペディアによると、マセルムは食糧市場のようだった。
このマセルムと書かれた看板の左側に行くと、ポンペイといえばアレ、石膏で固められた人の遺体が展示されていた。
公衆広場の浴場、温浴室(テピダリウム)
テルマエ・ロマエ。
浴場と聞くと、テルマエ・ロマエを思い出す。
実際、ここ公衆浴場を見学していたとき、口からテルマエ・ロマエの言葉がでた(笑)
ファウヌスの家
東京国立博物館で開催されていたポンペイ展に行ったときに、このファウヌスの家のモザイク画などが展示されていた。
それをついに・・・この目で、この目で見ることができた。
ファウヌスの家とは、ポンペイの中でも最も大きくて美しい家である。
壮大な建築様式、さまざまな色の大理石版を模倣した第一洋式の漆喰の壁板の控えめな上品さ、またモザイク(ナポリ考古学博物館に展示されている)の優れた芸術的価値など、すべてにわたって特記に値する家である(ポンペイで購入した本参照)
ファウヌスの家には、歴史の教科書でもおなじみである「アレクサンドロス大王のモザイク画」がある家である。
壁や屋根がなくなっているだけで、本来ここは室内らしい。
本物はだいたいナポリ考古学博物館に保存されているようです。
番犬注意とモザイク画
ヴェトゥティウス・プラチドゥスの軽食堂(テルモポリウム)
円形劇場の近くでは、ポンペイから発掘された出土品が展示されていた。
東京国立博物館でも見た「炭化したパン」が、ずらりと展示されていた。
あと、石膏で固められた遺体も数個、展示されていた。
ずっと行ってみたいと思っていたポンペイ。
石膏で固められた遺体を見たときには、本当に胸がグッと締め付けられるようになった。
約2000年前に噴火したヴェスヴィオ山。
そして、一瞬にして火砕流に襲われ、時が止まったまま保存されたポンペイの街。
さまざまな出土品や街並みを見てみたけど、古代ローマの文明はやっぱりすごかったというのが、よぉ~くわかった。
日本は日本で、とても素晴らしいけどね。