3年ぶりに埼玉県行田市にある「さきたま古墳公園」に行ってきた。
さきたま史跡の博物の方へ行ってから、駐車場に戻ってきた。
そして、丸墓山古墳から稲荷山古墳、将軍山古墳へと歩いて散策していた。
駐車場のとなりにある「愛宕山古墳」
駐車場のとなりにある愛宕山古墳。
さきたま古墳公園内にある前方後円墳たちよりは小ぶりだけど、これはこれで立派な前方後円墳。
きっと、小ぶりだけど、前方後円墳に埋葬されるというだけで、嬉しかった人はいるかもしれない(勝手な想像ですが)
石田三成が陣を張ったと伝わっている古墳「丸墓山古墳」
石田三成が、忍城を水攻めにしたときに陣を張ったといわれる「丸墓山古墳」。
丸墓山古墳は、さきたま古墳公園内にある「古墳に登れる」古墳のひとつで、石田三成が活躍していた時代とか、知っている人は知っていたかもしれないけど、当時、古墳だというのを知らないで、おお!こんなところに便利な小山があるみたいな、邪魔だから掘削されちゃうとか、いろいろ古墳ストリートがあったりすることがあるから面白い。
丸墓山古墳の上に登ると、ちょっとちっこいけど、忍城が見える。
丸墓山古墳は、日本最大級の円墳で、駐車場から丸墓山古墳に行く道は、石田三成が陣をはったときに築かれた堤防の跡「石田堤」と言われている。
えっちらおっちらと丸墓山古墳の上に到着すると、おお~!本当に忍城が見える~。
丸墓山古墳から忍城が見えるといっても、ものすんごい小さい。
戦国時代に生きたことがないからよくわからないけど、ものすんごく小さいお城しか見えないけど、それでも、ここらへんの場所では、丸墓山古墳みたいな高台??みたいな場所は重要だったんだなあと、勝手に思って勝手に納得した。
国宝「金錯銘鉄剣」が出土した古墳「稲荷山古墳」
丸墓山古墳から歩いていくと、国宝「金錯銘鉄剣」が出土した古墳「稲荷山古墳」がある。
ここ稲荷山古墳も、階段が設置されていて、古墳の上に登ることができる。
天気が良くて、公園、古墳散策日和。
稲荷山古墳は、ここさきたま古墳群の古墳の中では、最も古い古墳で、前方部は消失していたけど、発掘調査を基とした整備により、当時に近い形に復元されている。
後円部からは、2基の埋葬施設が発見され、そのうちひとつの礫槨から、鏡や馬具などと一緒に、115文字の文字が刻まれた鉄剣が出土した。
金錯銘鉄剣と呼ばれる鉄剣は、古墳時代の刀剣銘文としては、もっとも長文。
金錯銘鉄剣を含む稲荷山古墳の遺物は、学術的、歴史的価値の高さから、一括で国宝指定されている。
これらが展示されている博物館が「さきたま史跡の博物館」なのである。
将軍山古墳展示館には、金錯銘鉄剣の複製が展示されている。
では、稲荷山古墳に登ってみましょう。
稲荷山古墳の上に到着すると、礫槨が再現されたパネルなどが展示されている。
稲荷山古墳の上からも公園内がよく見渡せるし、景色が良くて目の保養になる。
稲荷山古墳を見学してから、さきたま史跡の博物館で、出土品を見る。
もしくは、さきたま史跡の博物館で出土品を見てから、稲荷山古墳を見学すると、ここ埼玉県県名発祥の地と言われる意味みたいなのがよくわかるような(わからないような?)ここらへん一帯というか、古墳時代からここらへんは栄えていたということがよくわかる。
古墳をひとつ作るだけでも、たくさんの人の労力が必要だから。