5時半ごろ布団から出た。
本当は5時に起きたかったんだけど、アラームを消して、とりあえず、寝てたもとの姿勢に戻ったら、そのまま二度寝したという。
そんで、あっ!と思ったときは、5時半でした。
なんで?そのまま体勢戻しただけで寝る?
しかも、変な夢まで見た。
ひたすら階段を降りていく夢。
いまある高層ビルの階段じゃなくて、ひと昔前のビルの階段ふうだった。
ひったすら階段を降りる夢だった(夢診断したら、どんな結果が出るでしょうかね)
発車ギリギリの電車に乗り、端っこの座席が空いていたので座った。
いま、こちらの本を読んでいる。
縄文時代と古墳時代くらいしか読んでこなかった私だけど、この本のおかげで、弥生時代が面白くなってきた。
弥生時代中期前半ごろ、青銅器時代の到来。
福岡県福岡市にある「吉武高木遺跡」では、三号木棺墓から、細形銅剣二、細形銅戈一、細形銅矛一、多ゆう細文鏡一、ヒスイ製勾玉一など、三種の神器として知られる鏡・剣・玉がセットで見つかったもっとも古い例なので、最古の王墓と呼ばれることも多い。
そして、鉄器の加工、鉄を求めて海を渡った人びと、鉄の国産化、そして、弥生時代中期後半から、中期末期、くにの成立「原の辻遺跡(一支国)」「三雲遺跡(伊都国)」。
原の辻遺跡は、長崎県壱岐島の東南部、長崎県では、諫早平野に続いて、2番目の広さを持つ深江田原平野に位置する丘陵上に、遺跡が突然現れるのは、前6世紀のことである。
原の辻遺跡は、朝鮮半島の資源を手に入れるために、海上交通路のルートに位置する拠点として、原の辻遺跡を造った可能性が高い。
ここの遺跡に行ってみたくなった。
壱岐島には、この原の辻遺跡に関する博物館がある。
「壱岐市立一支国博物館」
しかし、アクセスがちょっと大変そうだなと思った。
壱岐島に行くには、島と書かれているだけあって、どこかの港から船で行かなければならない。
ひとり旅行で来て、島チャレンジ。
うう、家でサイトなどを見ているだけだけど、島チャレンジ、ハードルが高いぜ。
そして、福岡県糸島市にある「三雲・井原遺跡」に行きたくなった。
三雲南小路遺跡は、玄界灘沿岸地域の有力者のなかでもっとも多くの大型の前漢鏡を副葬され、かつ墳丘や区画溝などを持つこと墓に葬られた伊都国の有力者の墓である。
この本の中には、その副葬品の組成図があるんだけど、見事な副葬品だなと驚いた(ど素人なのに、またまた上から目線)
一号甕棺からは、大量の鏡、青銅製の矛、玉類、ガラス製品の数々は、当時の記録から全容と詳細がほぼわかっっている。
二号甕棺からは、小型の前漢鏡と多くの装身具が出土し、武器を持っていないことから、后か女性の祭祀関係者とみている。
ここで思うところは、邪馬台国、卑弥呼の存在である。
伊都国と卑弥呼と検索窓に入れて検索してみると、たくさんこの言葉が引っかかってくる。
簡単にこうやって書いてみたけど、おもしろくなってきた弥生時代。
そして、本の後半には、古墳時代への道、弥生時代から古墳時代への歴史の歩み、みたいなのが書かれている。
私は、弥生時代の遺跡といえば、静岡県にある登呂遺跡しか行ったことがなかったけど、さすが、九州。
弥生時代といえば、稲作というイメージが大きかったけど、弥生時代の人びとは、日本を飛び出し海を越えて、鉄をもとめ、外交をし、そして、日本には大きなくにがたくさん誕生して、そしてヤマト王権へと続き、古墳をわんさか作っていくんだなと思った。
面白いよ、弥生時代!