朝、スーパー銭湯に行くか行かないかで、相方とケンカした。
スーパー銭湯に行く行かないのケンカは、一緒に生活して数年、ほぼ同じようなケンカ内容で、ほぼ同じ結果(相手が拗ねて行かないで終わる)が多く、私たちがケンカする原因として順位をつけるならば、ほぼ1位か2位にあがるほど、スーパー銭湯のケンカは多い。
ケンカ内容は控える(知りたい人っているんか?)
ブログに、悪口みたいなこと、不満?(身近な人の不満や愚痴)は書かないと決めたからだ、けど、またこれでケンカか・・・と思って、少し吐き出してみた。
今日はバレンタインデーである。
昨日仕事場で、同じ派遣で働く人からチョコレートをもらった。
女子から男子というよりは、職場で仲の良い人に配る、という感じらしい。
どうしよう、ホワイトデーのプレッシャーじゃないか。
私は、人にお土産を渡す(モノをプレゼントする)、ということがあまり得意ではないと思っている(得意とか不得意ってあるのか知らないけど)
たまに、この人よくそんなお土産(こんなお菓子見たことないとか、こんな食べ物、どこで売っているんだろう)見つけてくるんだろ、みたいなものをくれる人がいる。
たぶん、その人のリサーチ能力が高いからだろうと思う。
例えば、テレビで紹介されていたもの、ネットの記事で読んだから買ってみたもの、友達や知り合いから頂いてみて、自分も買ってみようと思って買ったものなどなど、どういう理由で、そのお土産を知って手に入れたのか、いろいろな方法はあると思う。
そう思うと、自分ってリサーチ能力が低いなと思うと同時に、お土産を渡す(プレゼントを渡す)という文化?的なものに慣れてこなかったからじゃないかとも思える。
人は何でもそうだと思うが、経験しないとわらかないものである。
中学生の頃だったか、私が子供の頃、初めて友達からお土産をもらったことがあった。
そのあと、母親と旅行に行った。
母親から1万円という大金の小遣いをもらい、そのお金をどう使おうか考えていたとき、「そうだ!友達にお土産を買って帰ろう」と思い付いた。
旅行先のお土産屋さんで、商品を見ていたとき、これとこれとこれもあれもと友達のお土産として選んでいた(確かふたり分買おうとしていた)
すると母親から「そんなにたくさん友達のお土産を買うの?自分の分のお金なくなっちゃうじゃん」と言われた。
しかし私は、それだけの金額のお土産を買わないと、なんだか友達に悪いというか、それだけお金をかけないと、友達に失礼というか、とにかくお土産を買って何かを解決しようという気持ちになっていた。
これは、数十年経ったいまでも鮮明に覚えている記憶で、私の中で教訓ともなっている出来事である。
結果、母親のいう通り、手持ちのお金はほぼなくなってしまい、そのあとの旅行は寂しいものになってしまった。
友達にお土産を渡したときも、そりゃあびっくりするぐらいのお土産の数、覚えているのは、そんなに喜んでもらえなかったな、という記憶である。
それから人生、いろいろな出来事があり、だんだんとお土産というものの相場?というか、お土産のやり方??みたいなのを学んできた。
しかし、先ほど書いた通り、いまの世の中、お菓子にしても何にしても、いっろんな種類のものがある。
あるとき、自分もそのリサーチ能力をあげよう!と思ったが、結局やめた。
お土産って、お土産のモノを大事にするか、お土産をあげる行為、気持ちを大事にするか、どちらがいいか、よく考えてみた。
私は後者になろうと思った。
人からもらうお土産の種類関係なく(たまに、え??と気持ちがひくものもあるが)その人がお土産をあげようという気持ちになってくれたことだけでも嬉しいと思うようにしたのである。
両方できる人は、それで良いと思うが、どっちかに偏っていたら、もう一度よく考えてみようと思う。
今日はバレンタインデー。
千葉そごうに行って、チョコレートでも見てこようと思う。
(バレンタインデーのチョコはお土産じゃないけどね)