ふとしたことで買った向田邦子のエッセイが面白い。
私は、向田邦子の作品を読んだこともなければ、テレビ?ドラマも観たことがない。
ただ、飛行機事故で亡くなった人、ということだけは、なぜか知っている。
歯医者に行く前に、欲しい本があったので、ショッピングモールにある本屋に行ったのだけど、お目当ての本は置いてなかった。
なんかこのまま帰ってもなと思い始め、ちくま文庫の棚をジロジロ見ていたら、向田邦子のエッセイ本が目にとまった。
ペラペラと本の中を読んでいたら、なんだか面白そう、たまにはエッセイでも読もう、と思って、こちらの本を購入した。
向田邦子没後40年ということで、数々のエッセイから選りすぐりの?話を集めた(と言っていいのか)本である。
向田邦子は、昭和4年生まれで、エッセイの内容は、だいたいが昭和時代の話。
亡くなったのが、私が生まれて2歳のとき、昭和56年だから、昭和時代なのは当たり前なのだが、いま令和の時代で読んでいても、クスっと笑える箇所は多くある。
その中でも、私が電車の中で、吹き出しそうになったくらい面白かったのは「お辞儀」という話。
ウィキペディアでも紹介されているのだけど、お辞儀という話の最初に、留守番電話の話がある。
その留守番電話に入れるメッセージがまず面白い。
当時、留守番電話が珍しかったせいもあって、機械に慣れていない人が留守番電話に、さまざまなメッセージを入れているのが紹介されている。
「なんとかコーヒー店だけど、モカ・マタリを2キロ、キリマンジャロを1キロ、大至急届けてちょうだい」
「〇〇子がどうしても出ていくっていってんだよ。そいでさ、あれ?モシモシ、モシモシ、聞こえないの?モシモシ。フッフッ(電話機に息を吹き込む音)おかしいな。アー、本日ハ晴天ナリ」
こんなのは序の口で、いきなり、
「人を馬鹿にするな」
と、どなられたこともある。
※向田邦子のエッセイから抜粋
このようにさまざまな留守番電話エピソードを紹介したあと、黒柳徹子が向田邦子の留守番電話にいろいろなメッセージを入れた話が始まる。
1分ではもの足りず、パートⅡまで吹き込む人もあったが、面白かったのは、黒柳徹子嬢であった。
黒柳徹子は、留守番電話が始まるとまず最初に「向田さん?黒柳です」と早口でこのように言うようだった。
そのあとはもっと早口で、こういう機械に向かって電話するのははじめて物凄くしゃべりにくくて・・・などと言っているうちに留守番電話の1分が終了する。
そして再び「向田さん?黒柳です」と早口で始まり、さっきの話の続きなんだけど、1分って早いわねぇ、ほかの人は1分でちゃんと用が足りるのかしら・・・と早口でしゃべって1分終了。
と、この調子でずっと話していたらしく、本では9分間のショーと書いてあるから、9回留守番電話にかけてきたことになる。
結局、留守番電話では、肝心の要件はあとでジカに話すわね、と、留守番電話では要件は言わず、そのまま終わっている。
端折って書いたが、詳しくは、本で読んでもらいたいのだけど、もう面白くて面白くて、私の家にも、留守番電話が備わっていた固定電話があったけど、こんな面白い留守番電話はなかった(当たり前だ)
いまの時代、固定電話を持っている家って、どれくらいあるのだろうか。
留守番電話は、固定電話じゃなくとも、スマホ(留守番電話サービスとしてある)にもあるが、私もそうだけど、電話する、という行為自体、まだまだあるとはいえども、昭和時代に比べたら、電話する機会って減ってきている気がする。
その理由は、メールやLINEみたいな、文字を使って会話をする機会が増えたからだとも思える。
私が子供時代(小学校低学年の頃住んでいた家の電話は黒電話だった)、何をするにも電話を使って話すということが多かった。
だからこそ、向田邦子のこのエピソードを読んで面白おかしく笑えることができるのだと思った。
電話でなんでも話す、留守番電話にいろいろな人の声が録音されていた、そういう経験があるから、このエピソードを読んで、面白いと思えるんだなと思う。
いまの人(平成生まれの人など)は、このようなエピソードを聞いても、面白いと思うのだろうか。
自分がただただそう思い込んでいるだけなのだろうか。
向田邦子のエッセイは、内容が面白いだけでなく、文章の雰囲気も好きになった。
ブログでただただ書いているだけじゃなく、向田邦子のエッセイのような文章で書いていけたら、なんて我ながら、無謀なことを思うもんだなと思った。