向田邦子のエッセイが本当に面白い。
先日、津田沼駅近くにある丸善に行って、器のエッセイ本を買いに行ったのだが、器のエッセイ本だけ買って帰ればいいものの、ついつい他の本、何かいいものがないかな~なんて、店内をウロウロし始めたのが、無駄遣いの始まり。
いや、向田邦子のエッセイ本が無駄遣いとは思っていない!いないぞ!
器のエッセイ本が、料理本の近くにあったので、主にそこらへんを見ていた。
すると、向田邦子のエッセイ「メロンと寸劇」というタイトルの本が目についた。
「メロンと寸劇」のエッセイ本だ!と思って買ったのではなく、あ、向田邦子のエッセイ本だ、それだけを思って手に取り、ペラペラと中身を見て(ほとんど見てないけど)、これは面白いはずと、器のエッセイ本と共に2冊、レジへお会計をしに行った。
この向田邦子のエッセイ本は、ほとんど食に関する話が載っている。
向田邦子のエッセイ本で、何が面白いかと聞かれたら、それはもちろん文章が面白いのである。
向田邦子は、脚本家でありエッセイストであるから、文章が面白いというか、上手いのは当たり前である。
そんなのは当たり前だけど、私は向田邦子の本を読んでいて、向田邦子の文章が好きになった。
電車の中で、エッセイを読んでいたのだけど、ものすごく泣いてしまった箇所があった。
それは、向田邦子が飼っていた猫の話である。
飼い猫の死に際というか、その描写がとても上手く、自分自身も猫を飼っているせいか、死に際の様子がありありと頭の中に浮かんできてしまい、猫でも犬での人間でも、誰もが通る道と知っていても、どうしてもその様子を見せられてしまうと(実際は文字だけど)、どうしても悲しくなってしまい、私は、その場面だけ飛ばして読んでしまった。
食のエッセイ本といえども、他の描写で、私の心はやられてしまった(いい意味で)
食のエッセイ本で思い出したけど、久住昌之のエッセイ本「ひとり飲み 肴かな」も、なかなか面白い。
久住昌之といえば、孤独のグルメの原作者として有名である。
この本は、文章が独特過ぎて、若干というかかなり読むのが辛かったけど、マネしたくなるものばかりの肴が出てくる。
マネして作った肴のひとつ「カツオとにんにく」は、とても美味しかった。
こういう食べ方もあるんだ、なんて呑気に思いながら、カツオ(かつおのたたきだったけど)肴というかおかずとして食べた。
私も、こんな文章が書ければなあ~なんて、いろいろ読んで勉強中である。