いろいろな博物館を見学してきて、「縄文時代って本当にすごい時代だったんだなあ」と、改めて痛感する。
どの時代がすごい時代だったなんて、完全に私の主観的なことだけど、博物館を見学して、本を読んできてから、私個人として、いまそういう風に思うのである。
縄文時代って、現代のいまの時代の人たちが勝手につけた名前だけど、約1万年ほど続いた時代、生きていくために、狩猟したり木の実を取ったり、定住しなかったり、したり(竪穴住居とか)、現代の人間は、この時代の人とたいして変わらないとか、とにかく、面白い時代だったんだなって思う。
茅野市尖石縄文考古館に行ったとき、こちらの本を買った。
茅野市尖石縄文考古館には、「国宝・縄文のビーナス」という、縄文時代中期前葉の土偶がある。
縄文時代中期の八ヶ岳西南麓一帯の土器などは、すごく複雑な装飾が整然と器面を飾り、高い芸術性と豊かな表現力があった。
実際に、考古館で土器などを見学していると、すごいデザインの土器ばかり、昔の人の感性って凄すぎだなって、思わざるを得ないものばかりである。
考古館の中で、国宝として展示していある土偶「縄文のビーナス」と「仮面の女神」というふたつの土偶があるのだけど、縄文のビーナスが、こちらの本で紹介されている。
縄文のビーナスというのは、本当に縄文時代中期、出土した集落では、想像だけど、とても特別なものだったと思われるポイントが、いくつもあるのである。
縄文のビーナスは、大きさ、姿、形、製作技法など、いろいろな点で異彩をはなっている土偶だと紹介されています。
それに、縄文のビーナスは、光があたると表面がキラキラ光って見えるようだ。
粘土に雲母が含まれているせいで、暗がりで明かりをあてると、不思議な輝きを発すると語った人もいるようである。
縄文時代の当時の人たちが、キラキラ光る土偶を見たらどうなるか、想像に難くない気がする。
そして、役目を終えた縄文のビーナスは、ムラの中央の小さな穴に、単独でていねいに埋納されていたようである。
役目を終えてから時がたち、縄文のビーナスは、葬られた最後の姿のまま、再び地上の光にあてられることになるのだった。
人によっては、ただの土偶にしか見えないかもしれないが、私はこの本に書いてある縄文のビーナスのところを読んだあと、この土偶が、いちばん好きな土偶へとなった。
土偶を長い間、大切にしてきた縄文時代の人たちの気持ちを想像していると、自分には、長い間、大切にできるものはあるかな?と、ふと思った。
何千年とはいかなくとも、自分が生きているうちに大切にしたいもの。
縄文時代の人たちとは、全く違うことかもしれないけど、そういう気持ちを大切にしていきたいなと思った。
縄文のビーナスのページ、本当に良かった。