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国宝土偶が2体もいらっしゃる!長野県茅野市にある『茅野市尖石縄文考古館』に行ってきました(その2・黒曜石と縄文土器、与助尾根遺跡・尖石遺跡)

前回の記事はこちらです。国宝土偶2体紹介しています。

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国宝2体の土偶のほか、キラキラとして透明のガラスの石『黒曜石』、その原産地が霧ヶ峰から八ヶ岳一体にあったことによって繁栄していった八ヶ岳山麓、土器っていきなり作られるわけじゃないんですなどなど、ここ八ヶ岳山麓が、とても賑わっていた状況が見えてきます。

 

 

茅野市尖石縄文考古館に展示されている縄文土器と黒曜石たち

前回の記事では、展示室のフロアの中央?らへんに展示されている縄文土器を紹介しましたが、今回は、展示室の壁らへんに展示されている縄文土器などをご紹介したいと思います。

貝殻状装飾付深鉢土器

貝殻状の装飾だとすると、内陸にある遺跡なのに、海のものを知っている?ということになるのでしょうか?

縄文時代のネットワークみたいなものを、この土器からもわかるっていうことでしょうか。

貝殻状なのか花びらなのか、いろいろな解釈ができるかも??

右側の土器の装飾に注目

右側の土器の文様、匠の技!みたいな気持ちになってしまいます。

透かし模様みたいなものを、土器として作ることができるだなんて

ひとつの住所址から、たくさんの土器が出土しました。

棚畑遺跡のひとつの住居跡から多くの土器が出土

床面より10センチの高い位置にあったとか

装飾ありの土器が良いかシンプルな土器が良いか(見た目的に)

シンプルな土器もあります(真ん中の土器は焼町土器)

水煙把手付深鉢土器、これはこれで勢いある

唐草文土器

ずらりと並ぶ土器たち(深鉢から浅鉢までさまざま)

 

八ヶ岳山麓ある遺跡から大量の黒曜石が出土する理由

縄文時代という時代は、約1万3千年ほど続いた時代。

縄文時代中期の約1000年ほど、八ヶ岳山麓は当時『ニッポンの銀座』と思えるほど、とても賑わい、繁栄していました。

その理由のひとつに、黒曜石の産地だった、という理由があげられると思います。

八ヶ岳山麓にある遺跡からは、大量を黒曜石が出土することが多い。

これは、八ヶ岳山麓の遺跡の近くに、黒曜石の原産地があるからです。

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もう1年前のこととは・・・!!><

黒曜石の原産地に興味がある方はこちら

黒曜石とは、天然のガラスで、加工しやすく、割れ口はとても鋭い。

それに、どこでも取れる石ではありませんでした。

博物館に行き、縄文時代の展示を見ていると、だいたい黒曜石で作られた鏃や尖頭器などが展示されていると思います。

ですが、どこでも取れるわけではない黒曜石、ここでも縄文時代のネットワークが発揮?されている、というわけです。

黒曜石の原産地

霧ヶ峰から八ヶ岳の一帯は、本州最大の黒曜石の原産地地帯です。

ゴロゴロと大きな原石、黒い透き通った石が『黒曜石』です

黒曜石の原石や鏃など

こんな大きな原石が、地中から出てくるんですね。

矢じりの製作途中に出る石くず(剝片・破片)

旧石器時代や縄文時代には、石器を加工した場所(拠点?)みたいな場所がありました。

しばしば各地で、そのような場所が、発見されることがあります。

地中から掘り出した原石を、その場で加工して、ムラムラに持って行く。

遠くから運んできた原石を、とある場所で加工してから、各々のムラへと運ぶ。

そういう加工場?みたいな場所があった遺跡からは、このように、石くずが大量に出土することがあります。

原産地から遠いムラでも、石くずが出土することがありますが、石くずの量が桁違いなところが面白いです。

石くずでも、キラキラ透明でキレイですね

黒曜石のほかに、加工された石器もあります

縄文時代のひとたちが食べていたと思われる動物の骨なども出土しています。

縄文時代の人たちの生活のあと(動物の骨に残された肉食の痕跡)

土器たちも縄文時代のひとたちのネットワークについてわかります

 

かわいいミニチュア土器たち(試作品から練習用まで)

縄文時代のひとたちも、生まれたときから土器作りが上手にできるかといえば、もちろんそうではありません。

土器作りは、おもに女性の仕事だったのでは?と言われていますが、生活するのにとっても重要な土器作りを、子供の頃から?教えてもらうというか、ちゃんと作れるように訓練??みたいなことをしていたと思われます。

そして、試作品として?ミニチュア土器を作ってから本番に、みたいなことをしていたのでは?みたいな小さな土器も見つかっております。

大きな土器のとなりにちょこんとした小さな土器が見えます

右側の土器を作るときに試作品?として作ったと思われるミニチュア土器のようです

試作品を作ってから本番みたいな、いま現代でも同じですね

試作品みたいなを作ってから、こんな立派ま土器ができちゃうなんて

下手くそな土器たち

下手くそな土器たち

たくさん練習して完成した実用性ある土器は、いまや日本の宝になっているとは

ヒスイの装飾品も、多数出土しています。

ヒスイは、とっても硬い石で、とっても硬い石をどう加工しているかの説明もありました。

こんなキレイな丸い穴を開けられる技術、さすがですよね。

ヒスイの装飾品など

ヒスイの孔あけ技術

井戸尻考古館でも展示していた『生き物のような文様がある土器』

生き物のような文様がある土器たち
井戸尻考古館の土器と同じように見ごたえ抜群です

トカゲのような生き物に見えなくもなりです
どうでしょうか?何に見えますか?

実用的じゃなくても、このようなゴツイ装飾を付ける理由とは・・・

尖石縄文考古館では、まだまだ土器などの展示は続きますが(私は隅々まで見学してきましたが)、そろそろ外に出て、復元された竪穴住居などを見に行こうと思います。

諏訪湖周辺、八ヶ岳山麓に多く点在する遺跡たちです

 

尖石縄文考古館の隣にある遺跡『与助尾根遺跡』

尖石縄文考古館のすぐとなりには、与助尾根遺跡があります。

与助尾根遺跡

復元された竪穴住居(住居の中に入れるようです)

与助尾根遺跡から尖石縄文考古館を見る

そして、尖石縄文考古館の名前にもついている『尖石』を見に行こうと決めました。

この日は雨で、誰も見に行っている人はいなかったけど・・・

 

尖石遺跡の名前の由来になった『尖石』

『尖石』がある場所は、尖石縄文考古館の目の前に道路をわたり、右側に続く原っぱみたいなところを歩いて行きます。

その途中に、尖石遺跡の看板があります。

道標がありますので迷うことはないです

遮るものがない原っぱを歩きます

途中にある『尖石遺跡』の看板

遺跡保存のために、住居跡など埋められていると思われます。

ここの道標のところを左に曲がります

そして階段を降りると・・・

おおお!!これが『尖石』です

『尖石』

尖石のとなりには、夫婦?のような木がありました

こういう場所は、古い昔から信仰の対象となっていたのでしょう(実際そうだったみたい)。

縄文時代から現代まで、そしてこれからも尖石は、人々に守られて?いくんだなと思いました。

ということで、日帰り博物館巡り『尖石縄文考古館』に行きました。

国宝土偶2体、いかに八ヶ岳山麓地帯にある遺跡が繁栄していったかが、とてもよくわかる博物館でした。

ぜひ、尖石縄文考古館の周辺にある博物館にも、足を運んで、八ヶ岳山麓の遺跡のすごさを感じていただけたらと思います(私も、まだまだ信州の遺跡に行き続けます)。

また尖石縄文考古館に行きますね!(泊まりで行きたい)

 

※参考書籍