ダラダラと日にちがあいてしまった。
こちらは前回までの記事です。
企画展の一室で中峠類型土器、加曽利EⅠ式土器を見てきたけど、加曽利EⅡ式土器も、これまた過去記事2つとはまた違った土器が展示されていた。
てか、前回の記事で、加曽利E式土器を知るには~・・なんて書いていたけど、自分、いい本を持っていたではないか。
こチラの本をまた読んで勉強したいと思います。
加曽利EⅡ式土器
約4800年前。
加曽利EⅡ式土器は、加曽利EⅠ式土器と比べると、文様の変化が見ることができる。
下記にも書いてある通り、他の地域で作られている土器の要素が、加曽利EⅡ式土器に見られるようになってくる。
11番から14番までの土器の底が欠けている?状態。
底が欠けているのには理由があるようだ。
口縁部がシンプルな楕円形のような文様になっているけど、無駄がない円というか、土器全体に馴染んでいるような、見ていてスッキリする文様だなあと思う私。
他地域の影響がみられる土器(大木系土器)
加曽利EⅡ式土器期のとき、県内では、外房地域を中心に加曽利E式の成立から前半の段階において東北地方の大木式土器の影響がみられる。
大木式土器(だいぎ)は、東北地方を中心に、縄文時代前期前葉から縄文時代中期末葉までの土器様式(ウィキより)。
大木式土器は、宮城県の大木囲貝塚から出土した土器を基準にしている。
加曽利EⅠ式土器と加曽利EⅡ式土器の主な違いは、口縁部にあった『隆帯文』。
加曽利EⅠ式土器には、くっきりと口縁部には隆帯文(粘土紐を貼りつけて描く立体的な線)があったが、加曽利EⅡ式土器には、口縁部にあった隆帯文が薄れている。
ゴテゴテが流行ると、次はシンプルになっていくのは、いつの時代も同じっていう気もしなくないなあ、みたいな。