ねことメガネとアネモネと

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日常で感じられるプチ贅沢(幸せ)ってなに?(2023年2月21日の日記)

8時ごろ布団から出た。

 

先日20時ごろ、キッチンの明かりをつけようと、壁にあるスイッチを押してみたら、なんと、蛍光灯がきれたみたいで、明かりがつかなかった。

18時50分ごろ、ご飯をつくっていたときには、蛍光灯の明かりがついていたんだけど、寿命だったらしい。

明かりのカバーを外して、中を確認しようと思ったんだけど、これがなかなか手ごわくカバーが外せない。

 

簡易的な椅子にのぼって、引っ越してきたときに置いてあった説明書を読みながら、押してみたりしていたんだけど、うんともすんとも、外れる気配なしだった。

それに、椅子にのぼりながら、上を見ていたせいで、首にダメージを受けて、ちょっと気持ち悪くなった。

 

しかも、下手に動かそうとしていたせいで、カバーにすこ~し隙間が出来てしまった。

上手くもとに戻せないし、お金かかってもいいから、大家さんに電話して、蛍光灯を交換してもらいたいと思った。

蛍光灯がきれる、なんて、遅かれ早かれ、いずれはあるもんだから、と思いつつ、首が痛くなった。

 

次の日。

LINEでひと通り、事情を説明していたから、相方が説明書を見て、カバーを外し、蛍光灯を取り換えてみたんだけど、電気は付かず。

蛍光灯が悪いのではなく、中が悪いのかもと思うけど、中が悪いとなると、私たちの手には負えないので、大屋さんに電話した。

 

そんで昨日、15時くらいに、キッチンの蛍光灯らへんの様子を確認しに来ていただいた。

人生40年ほど生きているけど、こういう経験がないから、そういうこともあるんだなあ程度で思っているところ。

まあ、長年、家だけじゃないけど、物って、ずーっと使っていれば、ガタがくるもんであるよなと思うのであった。

確認してもらったら、全交換しないといけないかもと言われた。

なんせ、その蛍光灯の装置?みたいなものが、2005年製のものらしく、壊れてもおかしくないくらいの古さだった。

「このマンション、そんな古いんか・・・」

なんて改めて思ったけど、原因がとりあえずわかって良かったなと思った。

 

友達と先週の金曜日に、モンハンナイトをしていたとき、なんかさ~、日常にプチ贅沢みたいなもの、贅沢じゃなくてもいいから、気分良くなれることってないかね?みたいな話をしていた。

私としては、いまのところ、成城石井で買ってくるベーグルやパン買ってきて食べることがプチ幸せみたいな感じになっているけど、正直言えば、お金がかかっているプチ贅沢、みたいな感じになっちゃってはいる。

友達は、なるべくお金をかけずに、日常でプチな幸せが、気分が良くなることがないかと言うのである。

私のない頭で考えてはみるんだけど、猫と触れ合うことが、日常での幸せというか、癒しになっているんじゃないかなあ~とも思うけど、なんでしょうかね?なにか良い案あったりしますかね?

 

友達は最近、白米を玄米に変えて食べてみたり、小麦粉断ちみたいなことをやって、健康に気をつかっているという話をしてた。

そういうなら、成城石井でパンを買いこんでくる私って、不健康か!?みたいなことを思ったけど、限度が大切と前向きに思って、買ってきたパンを冷凍していた。

 

カフェに行って、美味しいものを食べてきたりするのもいいんだけど、それなりにけっこうお金がいたりするもんだし、行く回数を決めて、夏や冬に、どーんと大きな旅行をする、みたいなことにしていくのか、まあ・・・意外とそういう計画?日々の幸せ計画みたいなもんって、難しいですよね。