ダラダラして、ずーっとブログを書いている月曜日。
部屋着から着替えるのも面倒くさくて、13時時点で、まだダラダラと部屋着である。
(こう書いたあと、着替えなければと、やる気をだした)
いやね、いろいろ書きたいと思っていたことや、下書きにたまっていた日記を書き終えたいというのもあって、今日月曜日、ダラダラと迷惑すぎるくらい、ブログを更新した。
はてなブログのダッシュボードの右側にあるお知らせをふと見たら、週刊はてなブログの記事が目についた。
私はその記事で「#純日記」というタグがあることをいま知った。
最初に思ったことは、純日記ってなに?と口に出してしまうくらいに思った。
(じゅん散歩なら知ってる(痛いツッコミ))
痛いツッコミというのが意味不明だが、へ~純日記というジャンルみたいなのがあるんだ~と、勝手に思った。
私がブログを書く理由として、前にも書いたかもしれないが、とにかく自分が思ったこと、感じたこと、平凡なこと、自分の人生のひとコマこんなことがあった、楽しいことがった、これは美味しかったぜ、電車に乗っていたらこんなこと思い付いた、などなど。
細かく書くとこんな感じだけど、簡単に言えば「自分が感じたこと、思ったことを、とりあえず文字にしたい」みたいな気持ちかな?と思う。
ブログって、読み手のことを考えて書かなければならない、みたいな風潮?があるところがあって、私もその風潮にがんじがらめではないけど、どこかそうならなきゃという思いが強すぎて、一時期、ブログを放置していたこともあった。
あれも書きたいけど、ダメだな、どうもそのような文章は書けない、みたいな放置。
やはりそれって、外側からの強要?みたいな、そうならなければならないという押しつけ??感があって、前にも紹介したけど、この本を読んで、そうだよね、自由でいいんだよねという気持ちになった。
azu-simple-diary.hatenablog.com
そして、はてなブログで見つけた「#純日記」というタグ。
私のブログは、純日記に当てはまるのだろうか?と思ったりもしたが、自分が「これは純日記だ」と思えば、それは純日記なのである。
また、当てはまるか当てはまらないかなんて考えていたら、前に進めないだろう。
平凡な日常だって、誰得でもないブログの記事でも、書きたいことを自由に書くというのがブログだ、という気もする。
更新回数だって、気にすることないと思う。
(始めに迷惑すぎるくらいと書いているけど、どうでも良いと思って書いている)
それも同様に、書きたいことを書いていることなのだから。