ねことメガネとアネモネと

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向田邦子のエッセイ「食わらんか」の海苔弁に影響されて

いまだに向田邦子のエッセイを読んでいる私。

家にある積本に浮気しながら読んでいるので、1冊読み終わるのが遅い。

読み終わるのがもったいない、という気持ちがあるときもあるが、たいてい浮気しながら読んでいる。

 

向田邦子のエッセイが本当に面白い。

前回書いた「お辞儀」も面白かったけど、「食わらんか」という題のエッセイも面白かった。(↓↓エッセイ「お辞儀」についてはこちらの記事から)

azu-simple-diary.hatenablog.com

 

「食わらんか」というのは、食わらんか舟からきた名前である。

江戸時代に、伏見・大阪間を通った淀川を上下する三十石舟の客船に、小さい、それこそ亭主が漕いで、女房が手づくりの飯や総菜を売りに来た舟のことを言うらしい。

「食わらんか」と、声をかけ、よし、もらおうということになると、大きい船から投げおろしたザルなどに、厚手の皿小鉢いれ商いをしてたらしい。

※向田邦子のエッセイP132~133から抜粋。

そのあとに、向田邦子が外国旅行から日本に帰ってきて、いちばんに作ったものを紹介している。

それが「海苔弁」である。

 

海苔弁の作り方が、丁寧に詳しく書かれている。

海苔弁の作り方の書き出しに、まずはおいしいごはんを炊く、から始まるのが面白い。

しかも、向田邦子が作っている海苔弁は、3層の海苔弁である。

まず、お弁当箱に、三分の一ほどのごはんを平らにつめる。

かつお節を醤油でしめらせたものをうすく敷き、そのうえに火取って(火であぶること)八枚切りにした海苔をのせる。

これを三回くりかえし、それに、肉のしょうが煮と塩焼き卵をつけるのが好き、と書いてある。

 

今日、母親と新宿へ出かけたのだが、電車内で、この食わらんかのエッセイを読んでいたら、私も海苔弁が作りたくなった。

三層の海苔弁じゃなくとも、一層だけでもいけそうである。

たまに、会社近くにあるショッピングモール内にあるスーパーへと行き、お昼ご飯を買いに、お惣菜コーナーを見ているのだけど、いま思えば、海苔弁って最近おいてないな、と思った。

 

ショッピングモール内にあるお弁当は、牛丼弁当、天丼弁当、からあげ弁当、おむすびセットなどなどがあって、海苔弁を見た記憶がない(見逃しているだけかもしれないけど)

それか、例えば、からあげ弁当のごはんが、海苔弁仕様になっていたりとか、そういうかたちで、お弁当が売られているのかもしれない。

この「食わらんか」は、海苔弁だけじゃなく、向田邦子が作る料理について書かれている。

 

このエッセイの最後のほうに、自分でも納得することが書いてあった。

十代は、おなかいっぱい食べることが仕合せであった。

二十代は、ステーキとうなぎをおなかいっぱい食べたいと思っていた。

三十代は、フランス料理と中華料理にあこがれた。

アルバイトにラジオテレビの脚本を書くようになり、お小遣いのゆとりもでき、おいしいと言われる店へ足をはこぶこともできるようになった。

四十代になると、日本料理がおいしくなった。

量よりも質。

1回でドカンとおどかされるステーキよりも、少しずつ幾皿もならぶ懐石料理に血道(異性・道楽などにすっかり熱中すること)を上げた。

※向田邦子のエッセイP143から

私はこれを読んでいて、確かにそうだと思った。

いま私は四十代である。

若いときに食べていた、おなかいっぱい食べること、どこ行っても洋食ぽいものを中心に注文したり選んでいたこと。

でもいまは、おなかになるべく重くならないもの、そういう料理などを意識的に選んで(まだ無意識ではない)好んで食べるようになった、ような気もする。