2月20日から1泊、新潟県へ旅行しに行った。
唐突にどこか場所を決めて1泊してくる旅行をする我が家。
時間もないし、雪道運転したことがない、ということで、新潟市を中心に観光してきた。
新潟県といえば、私の中では、豪雪県(造語か)
先日の北海道も大雪警報が出るほどの雪だったけど、新潟県も雪が多いんじゃないかと、身構えて荷造りをした。
今回の旅行は、上野駅から新幹線で行った。
新幹線の名前は、上越新幹線「とき」。
始発の東京駅から終点の新潟駅まで運行する新幹線である。
朝7時頃、上野駅にいたけど、みなスノーボードを片手に、新幹線のホームへと歩いて行く人が多かった。
新幹線の切符の入れ方が、Suicaと切符を組み合わせると、ちょっと複雑というか、ちょっと手間というか、ここの改札機の前で、戸惑う人、もたつく人、多数目撃していた。
20日は、日曜日のため、越後湯沢駅まで行く人で、新幹線の車内は満席だった(指定席も満席)
越後湯沢といえば、たくさんのスキー場。
若者と家族連れだらけの車内だったが、越後湯沢駅で、ほぼ9割の人たちが、新幹線から降りていった。
みんな、日帰りでスキーやスノーボードなどのウィンタースポーツを楽しむんだろうなあと思いながら、降りて行く人を見ていた。
その後、静かになった新幹線車内には、私たちを含め、大人5人ほどしか残っていなかった。
行きの新幹線では、人が多すぎて、窓から外を眺めている余裕などなかったが(私の座席が通路側だったため)、帰りの新幹線では、かなり窓から外を眺めている余裕があったので、ぼけーっと私は外を見ていた。
越後湯沢駅あたりから、群馬県に入る間に長いトンネルがある。
私は、ぼけーっと窓から外を見ていたときに、やけに長いトンネルだなあ、いつになったら外が明るくなるんだろ、なんて思いながら、見ていた。
すると、窓の外が明るくなり、景色が見えた。
私は、その景色に驚いた、雪がほぼないのである。
トンネルに入る前は、ものすごく真っ白な景色ばかりだったのに、トンネルを出たあとは、千葉県とあんまり変わらない、雪が全くない景色に変わっていた。
私はそのとき、とある小説の文章を思い出した。
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』
有名な川端康成の小説『雪国』の冒頭の文章である。
私は、いちおう雪国は読んだことがあるが、山の音に比べると、うーん・・・な印象だった記憶がある(読解力が足りないだけかもしれないけど)
いまのところ、いちばんは『山の音』。
川端康成の小説「雪国」の舞台は、新潟県魚沼群湯沢町にある「湯沢温泉」が舞台となっている。
川端康成は、湯沢温泉に何度か足を運んでおり、その経験をもとに、雪国が執筆されたようだ。
私が驚いた経験をしたのは、川端康成の雪国からいえば、逆方向で見た景色のことを言っちゃってるのだけど、新潟駅行きの新幹線でも、同じような衝撃があったに違いない。
川端康成の時代は、まだ新幹線なんていうものがないから、いまでいう普通列車に乗りながらだけど、同じようにトンネルを抜けると、そこは雪国だった、のである。
なんか、川端康成と同じ経験しちゃったなあ、みたいな、ちょっと嬉しいような気もする(ファンではないけど)
私は、新潟県全体が豪雪地帯というか、まんべんなく雪が多い県かと思っていた。
しかし、タクシーの運転手さんの話によると、雪が多い豪雪地帯なのは山沿いのほうで、海に近い新潟市は、雪は降るちゃあ降るけど、山沿いほど雪は多くはないようだ。
現に、私が行った日は、雪は道路の端に固められて残ってはいるが、ほとんどアスファルト丸出しの道路で、私の住む千葉県とそんなかわらない道ばかりだった。
なので、私たちは急遽、レンタカーを借りて、新潟市内を観光して回った。
余談なのだが、私は、子供の頃、新幹線のトイレが苦手だった。
昔の新幹線だったからかもしれないけど、グラグラ大きく揺れる車内の中で用を足すっていうのが無理すぎて、毎回、トイレを我慢する、というのが多かった。
いまの新幹線は、昔ほどグラグラ揺れることもないので、私はやっと新幹線のトイレを利用できるようになった。
いや~、ここでも大人になったなあ。